謹賀新年

本年(2008年)の、私達(マイコム)の心境によるキーワードは、「協働感働」です。



本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2008年 元旦

マイコム株式会社
社長 湯場崎 直養


 2008年の、私達(マイコム)の心境によるキーワードは「協働感働」です。
 私達の職場環境について、昨年のマイコム社内での朝礼では、「職場は協働の場」(協力し合って働く場)であると説いてきましたが、それには、人としての「働き甲斐・やり甲斐・生き甲斐」に繋がる“感動の場”を創造しなければなりません。そこで私達の職場は「感性(五感)を養って豊かな発想や仮説を抱き、その具現化によって感動をともにするような働きの場」となることを望んでいます。
 そこで本年は「協働感働」(“どう”は「働」)とするキーワードを掲げ、その第一歩を築きたいと思います。また、このキーワードは、私達の努力によって私達の企業文化を発展させ、私達の歴史を刻むための精神となるよう育んで行きたいとも思っています。


 マイコムは1968年11月の創業ですから、今年は“創業40周年”を迎えます。
 創業当時の私は、電子技術の高度化を迎えようとする狭間のなかで、通信工学を学ぶ大阪電気通信大学の学生でした。今風に言って、マイコムは学生ベンチャーの走りであったと言えます(写真)。
■仕事の合間を縫って大学へ ■大学研究室での一コマ

 マイコムはこれまで、“ものづくり”の拠点を京都の地に拘りながら、創造豊かな“ものづくり企業”を目ざし、製品市場は世界に向け、文化の異なる海外でも事業を展開してまいりました。
 しかし、ここ近年、原価低減や優秀な人材を求めた海外での生産や開発が台頭するなか、マイコムの拘りとしてきた「京都での“ものづくり”のあり方」を考え直さねばならない時を感じます。
 このようななかで今年は、“京都らしい哲学”によって「新たな“ものづくり”のあり方」を創造してみる年と思っています。それには、京都の伝統や文化、アカデミックな環境との整合を思考して技術思想や企業思想を磨き、世界から信頼を得る“技術創造の発信”にあると信じています。
 このようなことから、マイコムは今年、「形にない空想から形となる創造までの研究拠点」として、“VEST研究所”(Venture and Endeavor Science & Technologyの略)を京都大学の桂キャンパス(大学院の工学系)の近傍にある、桂イノベーションパークに設けます(写真)。

VEST研究所の完成予定図

■ 写真右上の茶色のビルは京都大学大学院工学研究科電気・電子系専攻の研究棟。

■ 写真左上の緑地は京都府の浄水施設。

■ 設計は京都大学大学院博士課程学生の宗本晋作氏と満田衛資氏が担いました。

■ 完成は、本年8月初旬を予定。

 このVEST研究所では、マイコムにとっての「ベンチャービジネスを蘇らせる地」となることを望み、マイコムが長年にわたり、その道一筋としてきた「モータ精密制御技術、精密機構技術、制御LSI設計技術」などを更に高度化すること、独自の技術概念として築いてきた「意識型人工知能システム」の実用化を目ざすこと、そしてアカデミックな京都の地を背景にした一層の産学連携にも目を向け、「京都から世界に向けての技術創造の発信拠点」となるよう“超践”(超越する実践)したいと思います。


■ 元旦の朝、もう何年になろうか、海外拠点の責任者から新年の挨拶だとして自宅に電話が入る。そのなかで、ソウルの、この冬、朝晩は−10℃以下と、厳しい寒さが続いているとのこと。世界中で地球の温暖化だけを問題だとして叫んではいるが、地球の自然や人々の営みを守るための自然バランスにも目を向けた寒冷化対策も必要だと思う。
■ 自宅にある電話機はファクシミリー機能付電話機。年々小さくなり、更に小さくなればその扱いはどのような様となるのか。適当な大きさに留めるべきだと思う。
■ 私の工高時代(京都市立洛陽工業高校)に習ったファクシミリーは、新聞社で使われ始めた最新のもので、模写電送機とか写真電送機と言い、送信側と受信側との間の信号を同期させながら複雑な機構を駆動させる、まるで精密機械といった代物であった(写真)。

■洛陽工高の工展での模写電送実験風景

■ このような代物も、しだいにオフィスから家庭まで普及していくなか、日本で最初に普及品を開発したのが、京都の繊維機械や搬送機械の大手メーカ、村田機械株式会社ではなかったかと思う。
■ ところで、携帯電話やパソコンなどが小さくできるようになったのはトランジスタの発明によるおかげである。
■ 私の工高時代には、トランジスタは既に発明されていたが、ダイヤモンドに触れるような貴重な部品で、まだまだ真空管全盛時代であった。
■ しかし、今や、真空管を用いた製品は趣味の世界を除き、どこにも見あたらない。それもトランジスタそのものから、それを大規模に集積した、マイコンに代表されるLSIが常識となっている。
■ このLSIがまだ走りの頃、私は初めて渡米し、現在のシリコンバレーの地でトランジスタの発明者のお一人、ウイリアム・ショックレー博士とお会いした(写真)。

■ショックレー博士と懇談中の一コマ

■ その頃、周りから「博士は偏屈で日本人嫌いだ」と聞いていたが、思ったより気さくなので、「ショックレー・ショック」だと冗談を言っていた。
■ マイコンは、シリコンバレーに本社を構えるインテル社が開発したものとされるが、実は京都(峰山)にあったビジコン社が電卓を小型にするため、その演算回路となるLSIの開発をインテル社に委託したことが縁となりマイコンが誕生した。いわば、マイコンは日米による合作品だと言える。
■ この元旦の夜、このような想い出を過ぎらせながら長野県にあるベンチャー企業が製作した真空管アンプで若い頃から好きだったハワイアンを久しぶりに聴いた。トランジスタ式アンプでは再生できないスチールギターの奏でも軟らかくて軽い響きが快く伝わり、真空管の素晴らしさが蘇った。
(2008年1月2日作成)