謹賀新年

本年(2007年)の、私達(マイコム)の心境によるキーワードは、「異存共存」です。

異存共存

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2007年 元旦

マイコム株式会社
代表取締役社長 湯場崎 直養


 2007年度の、私達(マイコム)の心境によるキーワードは、「異存共存」です。この「異存共存」は、私達の事業や技術をはじめ、人社会の糧となる文化を発展させ、歴史を刻むための姿勢ともいえるものです。

 私達の一生涯は、必ず、自身とは(一見して)異なるものと思えるような関わりがあってこそ成り立つものです。例えば、親という存在によって誕生があり、自然や社会の環境に対する順応性を得ます。その後の身体や意識(知識)の成長を経験することによって社会貢献に努め、そしてその生涯を全うすることです。言い換えれば、宇宙環境の元で、「受命・運命・宿命・使命・寿命」とする順で、これらの「5命」(下表のとおり)を全うすることです。

受命(birth) ■人が人として存在するための誕生。
運命(destiny) ■身にふりかかる環境。
宿命(fate) ■もって生まれた身体的・知能的な特徴。
使命(duty) ■自覚的に努力する精神力。
寿命(life span) ■生き甲斐を感じる心。

 このようなことから、(紙面の関係から細かい説明を省きますが)私達の一生涯には、自身だけではコントロールできない「受命」「運命」「宿命」があります。私達は、それらの“3つの命”となる、親や家族、自然や社会、そしてそれらによる集合としての自身とする「宿命」によって人格が形成されます(されました)。それはつまり、「異」とするものの影響によるものです。

 ところで、“宿命による人格”は、一生涯における短期的な一コマ(教育学者は、3〜5歳児までの一コマと説明する)ですが、この延長線上で大人になり、社会で指導的な振舞いを行っているとすれば知能的な動物と変わるところがなく、滑稽としか思えません。それだけではなく、社会の発展や私達の会社であれば事業の発展を阻害するものとなります。

 私達が「知能的な動物として終わらない」といった人としての生涯は、自身でコントロールが可能な社会や会社に対する「使命」を抱き、それに努力することによって「寿命」を全うすることではないでしょうか。

 しかし、私達のほとんどは、使命を抱いて努力することに気持ちを傾けますが、その努力の背景が宿命までの知識の域であれば単なる知識の循環を行っているだけで、社会や会社に対しての発展的な知識を得て行動に移すことはできないはずです。

 社会や会社に対しての発展的な知識を得るには、宿命までに得た「異」とするものの影響とは別の世界に存在するもので、自身とは異なった経験や知識をもつ「異存」(objection)とする世界との「共存」(coexistence)を図ることではないでしょうか。

 <余談ですが>私達は、よく、「縁は異なもの」といった諺を耳にします。「困ったことでの解決策が別のところにある」といった意味で、先人の経験から「異存」のもつ価値を言い表したものです。

 このようなことから、私達は「異存との共存」によって、「優れた考えに変える」「優れた文化を築く」「後進に誇りのある歴史を刻む」といったこと、私達の会社であれば「優れた知識を得る」「優れた技術を創造する」といったことに繋げることができます。それは、これまでの歴史(私達であれば科学・技術史)が物語っています。

 例えば、京都においても「異存」がなければ、今日の文化や歴史、産業といったものがありません。都は奈良から京都に移り、多くの寺院が建立され、学問の場となりました。(現在の大阪府堺市に在住していた茶人)千利休に所縁(ゆかり)のある茶道は京都の地で発展しました。明治時代には、東京にあった工部大学校(現在の東京大学工学部)の学生3名が指揮して琵琶湖疏水を完成させ、更にその水力を利用した(東山区の蹴上に今なお残る)日本で最初の水力発電所を完成させました。その結果、日本発の市内電車を走らせるとともに、欧州から輸入した織機の動力源として西陣織産業の発展に繋がる礎となりました。このようなこと全て、「異存共存」によって育まれた文化・技術・産業といえます。

 私達は、これから先、私達の社会や会社の発展にとって必要な「異」とする存在を積極的に見て学び、(宿命の域にある)既存の知識からの解放を成し遂げたいと思います。